嘘を売る人 第1話:白紙の契約者

真砂悠介(まさご・ゆうすけ)は、白紙の契約書が好きだった。

印鑑も、署名も、金額もない。

ただ、余白だけがある。

人は余白を見ると、自分に都合のいい未来を書き込む。値上がりする土地。消える借金。誰にも知られない成功。家族に見せられる肩書き。失った人生を取り戻すための、一発逆転。

真砂は、その余白を売る。

嘘を売るのではない。

相手がもともと欲しがっていた嘘に、名前をつけて渡す。

その夜、ホテルのラウンジで待っていた男は、真砂を見るなり立ち上がった。

「真砂先生」

先生。

便利な言葉だ。

医者にも、弁護士にも、政治家にも、占い師にも使える。そして、人は先生と呼んだ相手を疑うのが少し遅れる。

真砂は名刺を出さなかった。

名刺は、相手が確認できるものだ。確認できるものは、嘘には向かない。

「急ぎましょう」

真砂は低い声で言った。

「この話は、長く置くほど汚れます」

男は緊張した顔で頷いた。

地方の建設会社の二代目。父親の会社を継いだが、借金と見栄だけを増やしている。欲しいのは事業ではない。父親を超えたという証拠だった。

だから真砂は、再開発予定地の話を持ってきた。

駅から徒歩7分。古い商店街の奥。まだ表には出ていない都市計画。今なら関係者だけが動ける。

もちろん、嘘だ。

ただし、全部が嘘ではない。

駅はある。商店街もある。古い建物もある。都市計画の噂も、本当にある。

嘘は、真実の隙間に置くとよく育つ。

「地主さんは、本当に売る気があるんですか」

男が聞いた。

真砂はすぐには答えなかった。

沈黙は、相手に想像させるためにある。

「売る気がある人間は、売る気があるとは言いません」

男は感心したように息を吐いた。

真砂は心の中で、その反応に小さな値札をつけた。

この男は、高く売れる。

ラウンジの奥では、羽鳥ミカ(はとり・みか)が紅茶を飲んでいた。赤い爪でスマートフォンを触りながら、こちらを見もしない。けれど、男が腕時計を外してテーブルに置いた瞬間、彼女は一度だけ瞬きをした。

焦っている。

金を用意する気がある。

家庭には言っていない。

羽鳥の瞬きは、3つの情報を意味していた。

真砂は書類を出した。

白紙の契約書。

男の目が、そこに吸い寄せられる。

「これは」

「まだ何も書かれていません」

「なぜ」

「あなたが、本気なら書けるからです」

こういう言い方をすると、人は自分で檻に入る。

強制されたと思いたくない。選ばされたと思いたくない。自分で決めたのだと思いたい。だから、白紙は強い。

男はペンを持った。

そのとき、羽鳥からメッセージが入った。

標的変更。老女がいる。

真砂は画面を伏せた。

男が顔を上げる。

「何か」

「いいえ」

羽鳥は、子どもと老人を標的にしない。

甘い。

真砂はそう思っている。

甘さは、嘘の邪魔になる。線を引く人間は、その線を使われる。守りたいものがある人間ほど、脅しやすい。

それでも、羽鳥を切らない理由が1つだけあった。

彼女は、真砂がまだ人間に見えるための最後の照明だった。

「地主の確認をもう一度取ります」

真砂は書類を引いた。

男が焦った。

「待ってください。私は本気です」

「本気なら、待てます」

真砂は立ち上がった。

ラウンジを出ると、羽鳥が後ろから来た。

「珍しいね。降りるの」

「降りてない。値段を上げただけだ」

「老女がいる」

「だから?」

羽鳥はスマートフォンを差し出した。

画面には、古い家の前に立つ小柄な女性が写っていた。白髪。曲がった背中。両手で植木鉢を持っている。

真砂は、写真を見て動けなくなった。

知らない顔のはずだった。

けれど、その家の門柱を知っていた。

子どもの頃、父に連れられて一度だけ行った場所。

父はその日、深く頭を下げていた。

正直に生きろ、と言っていた父。

正直なまま、全部を失った父。

真砂は写真から目を離した。

「この案件、誰から来た」

羽鳥の顔から、いつもの軽さが消えた。

「黒瀬(くろせ)」

その名前を聞いた瞬間、ラウンジの空気が遠くなった。

黒瀬征一。

寄付と再開発を表の顔にして、欲望のある場所にだけ橋をかける男。真砂より大きな嘘を、真砂よりきれいに売る男。

羽鳥は言った。

「もう1つある」

彼女は別の画像を開いた。

再開発計画書の一部。関係者一覧。そこに、真砂の名前があった。

いや、違う。

真砂悠介ではない。

彼が17年前に捨てた、本名だった。

白紙の契約書は、まだ誰のものでもない。

そう思っていた。

けれど、真砂は初めて気づいた。

この契約書の空白には、もう誰かが自分の名前を書いている。

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嘘を売る人

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このシリーズの全話 24編
  1. 第1話:白紙の契約者
  2. 第2話:存在しない地主
  3. 第3話:紙の花を折る女
  4. 第4話:父の住所で待つ男
  5. 第5話:買い手を間違えた嘘
  6. 第6話:値段のない庭
  7. 第7話:黒瀬の寄付
  8. 第8話:悪役の領収書
  9. 第9話:嘘を買わなかった人
  10. 第10話:白紙に書かれた本名
  11. 第11話:嘘を売らない女
  12. 第12話:父が買わなかった真実
  13. 第2部第1話:未決済の買い手
  14. 第2部第2話:未来の領収書
  15. 第2部第3話:正直屋の開店日
  16. 第2部第4話:相棒を売った封筒
  17. 第2部第5話:2日目の値札
  18. 第2部第6話:値段のない上司
  19. 第2部第7話:空白の代替要員
  20. 第2部第8話:回答者の消えた面接票
  21. 第2部第9話:買われなかった署名
  22. 第2部第10話:父が断った依頼
  23. 第2部第11話:依頼人ではない代理人
  24. 第2部第12話:開店前の正直屋
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この記事を書いた人

NEW MYTH編集室は、AIと共同で未来構想と物語連載をつくるための筆名です。長期連載ではシリーズごとに人物関係、伏線、未回収の謎を記録し、読者が続きを追える構成を重視しています。Future Visionsでは、AIの使い方そのものではなく、AIによって暮らしや仕事、家族、創作の選択肢がどう広がるかを扱います。

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