嘘を売る人 第2部第4話:相棒を売った封筒

正直屋を閉めた夜、机に残った封筒には羽鳥ミカ(はとり・みか)の本名が書かれていた。真砂(まさご)は鍵を渡したまま、封を切らなかった。相棒の秘密を暴くことは簡単だ。だが、秘密を知る権利が自分にあると決めることは、もっと大きな嘘になる。

翌朝、羽鳥は店へ戻った。封筒を見ても驚かず、「まだ開けてないんだ」と言った。感謝ではなく確認の声だった。真砂は封筒を机の中央へ置き、「お前が決めろ」と返した。

羽鳥は自分で封を切った。中には契約書ではなく、3年前の見積書が1枚入っている。依頼名は『真砂悠介の信用を第三者へ移す』。成功報酬欄は空白。売る対象は居場所でも犯罪歴でもなく、真砂が誰を守ると判断するかという予測だった。

依頼人は、真砂の行動を読めれば、彼が先回りして消す標的を逆算できると考えた。羽鳥は受注したふりをし、偽の報告を返した。しかし、その偽情報のせいで別の人物が監視対象になった。羽鳥が標的リストから人を消すたび、空いた場所へ誰かが入った時期の記録だった。

「あんたを守ったとは言わない」と羽鳥は言った。「守る相手を選んだ結果、見えない人を増やした」

真砂は怒るための材料を探さなかった。自分も同じことをしてきた。誰かを救う嘘の陰に、名前のない負担を置いた。2人は見積書を罪の順位表にせず、影響を受けた可能性がある人を、分かる範囲で別々に記録した。

具体的な調査方法は再現しなかった。誰がどの情報源を使ったかを公開すれば、新しい悪用の手引きになる。残すのは、依頼が存在したこと、羽鳥が虚偽報告をしたこと、その結果として別の人へ危険が移った可能性、本人へ連絡するときの安全条件だけだ。

見積書の裏には、父の正直屋で使われていた顧客番号があった。真砂は番号を知っている。父が最後まで返却できなかった3件のうち1つ。依頼人名は削られているが、相談内容は『息子に正直者をやめさせたい』だった。

羽鳥は「それ、あんたの父親の依頼じゃないの」と尋ねた。真砂はすぐ否定できなかった。父は正直で全てを失ったと、彼は信じてきた。だが父が息子へ正直を強いたのではなく、正直者をやめさせるため誰かへ相談していたなら、幼い頃の記憶の意味が変わる。

2人は番号の持ち主を探す前に、見積書を誰へ返すべきか決めた。羽鳥の名があるから羽鳥だけの物とは限らない。依頼人の事情と、影響を受けた人の記録も含む。原本は第三者保管へ移し、羽鳥は自分の説明文を添える。真砂は内容を承認しない。相棒だから共同責任に溶かさないためだ。

記録を第三者保管へ移す前に、羽鳥は影響を受けた可能性がある3人へ連絡するか迷った。謝罪すれば自分が楽になる。しかし相手は、すでに静かな生活へ戻っているかもしれない。真砂は連絡を勧めず、第三者窓口から「過去の情報利用について確認を希望するか」だけを尋ねる方法を出した。羽鳥の名前も事情も、相手が知ることを選ぶまでは伝えない。

3人のうち1人は連絡を拒否し、1人は記録の削除だけを求めた。残る1人、八木澄江は説明を聞くと答えた。真砂の父が最後に守ろうとした女性だ。羽鳥は会う資格がないと言ったが、資格を決めるのは羽鳥ではない。澄江には面会、文書、代理人経由、連絡終了の選択肢が渡された。

澄江は文書を選び、質問を1つ送った。「あなたは誰を守ったつもりでしたか」。羽鳥は真砂と書きかけて消した。真砂を守るという物語は、自分が別の人を見えなくした責任を薄める。最終的に「自分が正しい側にいる感覚」と記した。標的を消す行為に酔い、空いた場所へ誰が入るかを見なかった。

返事を読んだ澄江は、謝罪も面会も求めなかった。自分に関する情報を今後使わないこと、保有データを期限内に削除すること、完了を第三者が確認することだけを条件にした。羽鳥は罰を受ける場面を想像していた。だが実際に求められたのは、相手の生活から退出するための地味な手続きだった。

削除作業は真砂に任せなかった。彼が代わりに処理すれば、羽鳥の責任が再び相棒という関係へ溶ける。羽鳥は監督者の立会いで自分の保管範囲を申告し、複製の可能性がある場所も記録した。完全に消えたと断言せず、確認できた範囲と残る不確実性を分けた。

真砂は作業を眺めながら、昔ならこの不確実性を商品にしたと思った。消えたかもしれない、残っているかもしれない。その恐怖へ値札をつけ、安心を売る。正直屋で今すべきことは安心を約束することではなく、確認できない部分を確認できないまま示すことだった。

羽鳥が最後の端末を閉じると、真砂は「これで終わりだ」と言いそうになった。代わりに「今日確認できる作業は終わった」と言った。言葉の違いは小さい。だが終わりを宣言する権利を、被害を受けた側から奪わないために必要だった。

その夜、澄江から追加の連絡が来た。「守られたかったわけではありません。ただ、次の人を勝手に守らないでください」。羽鳥は返信文を三度書き直し、最終的に「受け取りました」だけを送った。理解した、約束する、二度としないという大きな言葉で、相手に自分の更生を見届けさせなかった。

真砂は封筒の見積書へ、売買不成立の印を押そうとした。羽鳥が止めた。「依頼は成立してた。私が受けた」。不成立にすれば、受注した事実まで消える。2人は「受注・未完了・影響確認中」と記し、見積書を英雄的な裏切り拒否の証拠へ変えなかった。

父の顧客番号については、澄江が1つだけ覚えていた。相談へ来たのは真砂の父ではなく、父と同じ工場で働いていた男。息子が正直すぎて職場で孤立していると話していた。真砂は自分の物語だと思い込んだが、同じ時代に似た悩みを抱えた親子は他にもいた。

「何でも自分につながると思うの、詐欺師の悪い癖ね」と佐和が言った。

真砂は反論できなかった。自分が中心にいると考えれば、偶然も他人の苦しみも伏線に見える。顧客番号は父の秘密を解く鍵ではなく、別の家族が返却を待っている記録かもしれない。3人は番号の持ち主を探す前に、返却を望むか確認できる窓口を使うと決めた。

窓口へ渡す申請書には、返却を求める人が名乗らずに済む欄があった。真砂はそこを見て、父について知りたいという自分の願いが、相手の沈黙より優先されかけていたことに気づいた。知ることが正義になるとは限らない。知らないまま待つことも、相手へ返せる選択肢の1つだった。

羽鳥は申請書の控えを封筒へ入れず、別の透明な袋へ収めた。過去の依頼と、これからの返却手続きを同じ物語に閉じ込めないためだ。「相棒なら一緒に持つ?」と聞くと、真砂は首を振った。「一緒に確認する。でも、お前の荷物まで俺のものにはしない」。羽鳥は一瞬だけ目を伏せ、それから袋へ自分の名前を書いた。

その線引きは、2人の距離を遠ざけるものではなかった。むしろ、許したふりも、裏切られた役も演じずに同じ机へ座るための場所を作った。佐和は2人分の茶を置き、「仲直りって、元に戻ることじゃないのね」と言った。真砂は湯気の向こうで、封筒を開ける前より羽鳥を知らなくなったこと、同時に、前より隣へ置けるようになったことを認めた。

羽鳥は茶に口をつけ、「許すかどうかは、今日決めなくていい」と言った。真砂はうなずいた。決着を急がないことは逃げではない。2人は明日の担当表にそれぞれの名を書き、同じ扉を別々の責任で開けることにした。

待つという合意もまた、2人が初めて一緒に選んだ答えだった。

昼、佐和が店へ来た。正直屋をもう1日開けてほしいという問い合わせが届いていた。前日の相談者の紹介ではない。サイトも広告もない店の開店時間を知り、羽鳥の封筒が机にあることまで書かれている。

問い合わせ文は丁寧だった。『返してほしい嘘があります。代わりに、あなた方がまだ知らない被害者を1人教えます』。交換条件に見えるが、相手が売ろうとしているのは被害者の名前そのものだ。真砂は返信せず、佐和へ文面を保存してもらった。

羽鳥は自分が囮になると言った。真砂は止めなかった代わりに、囮という役割を1人で決めないよう求めた。佐和、第三者の相談員、連絡を受ける窓口を含めて、接触しない選択も先に用意する。危険へ踏み込む勇気を物語の見せ場にしない。

「昔なら、あんたが勝手に返信してた」と羽鳥。

「昔なら、お前が勝手に会ってた」

2人は笑わなかったが、責め合いにもならなかった。過去のやり方を知っているから、現在の手順を互いに止められる。それが相棒でいる最低条件になった。

夕方、羽鳥は自分の説明文を書いた。『真砂を売る依頼を受けた。実行しなかった。しかし、別の人へ危険を移した可能性を知りながら、結果を確認しなかった』。弁明として、真砂を守ったことは書かなかった。

真砂は文章を読み、赤字を入れなかった。「短すぎる」とも「自分を責めすぎだ」とも言わない。羽鳥が自分の主語で残す記録だからだ。ただ、連絡を受けたくない期間を追記する欄を渡した。責任を取ることと、いつでも責められる状態に身を置くことは同じではない。

閉店時刻、問い合わせ元から2通目が届いた。本文は一行。『正直屋の2日目を買います』。添付された見積書には、店を開く費用ではなく、真砂と羽鳥が互いを疑うまでの時間が価格として記されていた。

さらに下には、真砂がまだ誰にも話していない条件がある。2日目は、2人のどちらかが相棒を売ったと認めたときだけ開店する。

誰かが封筒の中身を知っていた。しかも相手は、真砂たちが秘密を暴くか守るかではなく、どの言葉で責任を分けるかまで見ている。真砂は店の札を裏返さず、表の『本日閉店』を残した。相手が決めた開店条件では、扉を開けないためだ。

その夜、見積書の最下部に新しい印字が浮かんだ。『正直屋を2日目も開く価格――真砂悠介が、羽鳥ミカを許さないこと』。真砂は許すとも許さないとも決めていない。まだ値段になっていない感情を、誰かが先に商品へ変えていた。

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嘘を売る人

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このシリーズの全話 24編
  1. 第1話:白紙の契約者
  2. 第2話:存在しない地主
  3. 第3話:紙の花を折る女
  4. 第4話:父の住所で待つ男
  5. 第5話:買い手を間違えた嘘
  6. 第6話:値段のない庭
  7. 第7話:黒瀬の寄付
  8. 第8話:悪役の領収書
  9. 第9話:嘘を買わなかった人
  10. 第10話:白紙に書かれた本名
  11. 第11話:嘘を売らない女
  12. 第12話:父が買わなかった真実
  13. 第2部第1話:未決済の買い手
  14. 第2部第2話:未来の領収書
  15. 第2部第3話:正直屋の開店日
  16. 第2部第4話:相棒を売った封筒
  17. 第2部第5話:2日目の値札
  18. 第2部第6話:値段のない上司
  19. 第2部第7話:空白の代替要員
  20. 第2部第8話:回答者の消えた面接票
  21. 第2部第9話:買われなかった署名
  22. 第2部第10話:父が断った依頼
  23. 第2部第11話:依頼人ではない代理人
  24. 第2部第12話:開店前の正直屋
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この記事を書いた人

NEW MYTH編集室は、AIと共同で未来構想と物語連載をつくるための筆名です。長期連載ではシリーズごとに人物関係、伏線、未回収の謎を記録し、読者が続きを追える構成を重視しています。Future Visionsでは、AIの使い方そのものではなく、AIによって暮らしや仕事、家族、創作の選択肢がどう広がるかを扱います。

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