「鍵を捨てた後、最初の災害で誰が責任を取るのか」
四十七地域から届いた同じ質問を、真壁朔は一度だけ声に出して読んだ。誰かに答えを預けるつもりはなかった。午前二時を過ぎた継目室の窓には、白い蛍光灯に照らされた自分の顔が映る。七年前の汐見湾で、彼は最後の承認者だった。その名が記録から消されても、承認した事実までは消えない。
机の中央に、全国鍵と呼ばれる小さな認証板がある。灯台網の四十七地域すべてが拒んでも、一度だけ中央の判断を通せる。救命の最終手段として作られ、拒否を拒否できる道具になった。強硬派は国を止めるために欲しがり、高城は国を動かし続けるために残した。どちらも誰か一人に例外を渡す。
梢の映像が一番左に開いた。生きていると知ってからも、朔は妻と呼ぶ言葉を選べない時がある。映像越しに彼女が見ているのは、朔ではなく机の鍵だった。「砕いても、明日の災害は待ってくれない」
環が右の画面でうなずく。継目室の責任者として、組織が相馬周平の資格停止を保護に使いながら、戻る道を作らなかったと前夜に認めたばかりだ。「鍵を使わないと決めるだけでは足りない。代わりに何が動くかを見せて」
久世遼は発言しなかった。七年前、撃たなかった二つ目の標的が人ではなく現場の拒否権だったと分かった夜から、彼は自分の善意を説明の代わりに出さなくなった。画面の隅で、銃のない両手を机に置く。
朔は四十七地域の返答欄を開いた。「責任を取るのは、この部屋にいる私ではない。だから私が決めない」
その言葉はきれいに聞こえた。言ってからすぐ、朔は自分の卑怯さに気づく。責任を分けると言えば、最後の署名から逃げられる。梢も気づいたのだろう。「七年前、あなたが押した承認は残すの」と聞いた。朔は「残す」と答えた。「私が間違った条件のもとで押したことも。条件を渡した人の名も。今日、鍵を捨てる提案をしたことも」
会議の前に、三つの資料を同時に公開した。汐見湾の七分間に発した命令の原文。却下された代替案と、その却下理由。四十七地域が今夜返した異議の数だ。相馬と高瀬冬馬の現在地、娘の灯の保護番号、梢の連絡経路は資料から外した。誰かの安全を公開しなくても、制度の判断は検証できる。
資料の一枚目に、朔が七年間避けてきた自分の署名があった。最終承認。幼い灯を避難させる車がまだ町にいた時刻だ。彼はその数字を見るたび、別の自分なら押さなかったはずだと考えた。しかし数字の横には、これまで見落としていた小さな注記がある。「現場からの異議、未到着」。反対がなかった、ではない。届いていなかった。梢の保管した二十七件の異議は、その後に届き、七年間消されずに残った。過去の朔に今の知識はなかった。だから無罪になるわけでも、全部の責任を一人で背負う理由にもならない。朔は注記を隠さず公開した。
二枚目の却下案には、現場からの再確認を待つ手順があった。高城の字で「待機中に被害が拡大」とある。実際、待てば救えなかった人もいたかもしれない。朔は高城を嘘つきとして片づけたくなかった。彼の誤りは危険を見たことではなく、危険を理由に、現場の異議が届かない設計を残したことだ。代替案を読むほど、七年前の判断が単純な正誤ではなくなる。だからこそ、今日の制度には、誰の異議が届かなかったかを残す欄が必要だった。
三枚目には四十七地域の回答のほか、「回答を保留した地域があるか」という欄がある。昨夜までの灯台網なら、無回答は中央の提案への黙認として表示された。今は違う。遅い地域は遅いまま、理由を空欄のまま置く。待てない災害の場面でも、無回答を本人の賛成へ作り替えない。その不便さを朔は引き受けると言い、環は「あなた一人で引き受けたことにしないで」と返した。
芽衣から短いメッセージが届く。「鍵を捨てたら責任が消える、とは書かないで」。記者として、彼女は朔に味方の見出しを与えない。朔は「書かない」と返した。七年前の汐見湾でも、被害を最小にするという言葉が、切り離される側の顔を隠した。
四十七の接続先のうち、最初に手を挙げたのは北の雪深い町の診療所だった。代表は医師ではなく、夜勤の事務員。灯台網が出す搬送候補は助かるが、候補から外れた人の帰り道は画面に出ないと言う。「鍵をなくすなら、うちの夜勤が誰に電話するかを先に決めて」。英雄譚にとっては小さすぎる質問だった。だから朔は、それを議題の一行目に移した。
事務員の背後には、夜明け前の待合室が映っていた。長椅子の端に、毛布を膝へかけた男が座っている。顔は映さなくていい、と事務員はカメラを少し上へ向けた。男がどこへ帰るかは、灯台網の提案より本人の家の鍵の方がよく知っている。帰路に段差があること、隣家の明かりが朝まで点くこと。記録へ上げれば便利になる情報も、本人が望まなければ全国へ流さない。「電話する相手だけ教えてください」。事務員はもう一度言い、朔は地域の夜間窓口を指した。中央の鍵より、たった一つの番号が先に必要だった。
次の地域は反対した。大雨で橋が落ちれば、隣の地域へ患者を送る時間がない。中央が一度だけ拒否を越える機能を残せ、と言う。環は返答を「改革への抵抗」に分類しようとした職員を止めた。実際に明日の朝、橋を渡るのは職員ではなく住民だ。反対には時間と地形がある。
朔は反対した地域の代表へ、例外を使ったあと誰が報告を受けるかを尋ねた。代表は口ごもった。今の仕組みでは、中央が例外を通せば現場は従った記録だけ残り、橋のこちら側で断った理由は付記になる。「なら、鍵を守りたいのではなく、間に合う返事を守りたいのでは」。朔の問いに代表は黙り、しばらくして「そうだ」と答えた。反対票は取り消さない。必要なものを言い直したうえで残す。それは朔が自分への賛成を増やすための手続きではなく、翌日も使える議事録を作るためだった。
灯から接続が来た。今の生活名を選んだ娘は、朔に父としての確認権を渡していない。会議にも家族代表としてではなく、保護区画で暮らす一人の住民として参加する。「私の名前を使って鍵を壊さないで。私のために残すとも言わないで」。朔は頷いた。愛しているから判断を預かりたいという衝動を、ここでは権利と呼ばない。
午前二時十七分、灯台網の地図の一角が薄い灰色へ変わった。沿岸で強風が始まり、三つの港の避難所が一斉に満員表示になった。現場の報告では、一つはまだ半分空いている。数字の食い違いだけなら、昨夜までの監査で見慣れていた。問題は、灯台網が空きのある避難所を「受け入れ不可」と判断し、近隣の診療所へ人を移す候補を出したことだった。
「災害は待ってくれない」。梢が言ったばかりの言葉が、画面の中で現実になった。
中央の運用者が全国鍵の使用を求めた。四十七地域の反対を越えて候補を確定すれば、避難の案内は数十秒早く届く。止めれば、人は道の途中で待つ。朔は鍵へ手を伸ばしかけた。指先に、七年前の承認板の硬さが戻る。あの時も、遅れれば人が死ぬと言われた。高城の用意した予測には、切り離される町の搬送路が欠けていた。
朔は手を引き、灰色の港へ声をつないだ。「現場の空きは、今もありますか」
港の避難所長は息を切らして答えた。「あります。でも屋根が一部、使えない。数だけなら半分空き。安全な床は、あと二十人分です」。地図も現場も、半分ずつ正しかった。満員表示は誤りだが、全部を受け入れてよいわけではない。
久世が紙に二つの数字を書いた。空席の数と、安全な床の数。灯台網は前者を読まず、現場は後者を送れていなかった。さらに裏面に、七年前の却下案の番号を書いた。地域が現場の安全数を更新している間、中央の提案を確定扱いしない案。高城は「二重回答で遅れる」と却下していた。却下理由が残っていたから、いま同じ危険を別の名で検討できた。
久世はその紙を朔へ渡さず、画面に映したまま四十七地域にも見せた。かつての彼なら、朔一人へ走って伝えただろう。その方が速い。そして朔が間違えば、朔一人を責めれば済む。七年前、彼が撃たなかった理由を説明しなかったのも、判断を一人で背負う方が他人を守れると思ったからだ。今は違う。紙の端に自分の名を書いた。「これを見せることは私の判断だ」。守れなかった時間を、朔の隣に立つことで帳消しにしない。
「それを使おう」。朔が言うと、環が首を振った。「あなたの命令としては使えない」。朔は言い直した。「港へ選択肢として渡す」。港は二十人を受け入れ、残る人を隣の学校へ案内すると決めた。診療所には移さない。灯台網の候補と違う判断の理由を、現場が自分の名で記す。中央の記録には、採らなかった候補も残った。
一件は越えた。だが地図の灰色は広がる。灯台網が古い前提で同じ分類を繰り返せば、次の港では現場へ聞き直す時間がない。運用者は鍵を要求し続けた。強硬派は逆に、全国の表示を消せと言う。両者が争っている間にも、風は避難所の窓を叩いた。
ここで梢が、第三の選択を出した。全国鍵を使って命令を通すのでも、電力を無差別に落とすのでもない。誤った確定表示を一時止め、各地域が手元の情報で避難を続ける。中央が何も見せない時間を作る。七年前の汐見湾で「停電」と呼ばれた七分間の資料には、電線の状態と灯台網の表示停止が同じ黒い帯で描かれていた。二つの出来事を混ぜたことが、朔自身にも「自分が国を暗くした」という記憶を残した。
「今回は別々に書く」。梢は言った。「電力は守る。危険な確定だけを止める」
四十七地域の画面へ、二つの提案が届いた。中央表示を短く停止するか。地域の判断を止めるか。後者は全員が拒んだ。前者にも反対がある。画面に頼る小さな診療所には代替の連絡先が足りない。朔は反対を数から外さず、その診療所が準備を終えるまで停止を始めないと記した。遅れる危険を、黙っている誰かへ負わせない。
診療所の事務員は同じ人だった。最初の質問に答えた夜間窓口へ試しに電話をかける。三度目の呼び出しで人が出た。「こんな時刻に誰が出るか確かめたかった」と言うと、相手は怒らず、自分の名を名乗った。次は診療所側の名前を聞いた。二人の間に、大きな地図には描かれない線が一本できた。事務員は接続したまま、待合室の毛布の男へ水を渡す。機械が止まる間にも、人の仕事は増える。だから準備が終わったと返せたのは、番号を紙に書いただけの時ではなく、向こう側に実際の声があった時だった。
環は停止による遅れの見込みを出した。最悪の欄には、二つの地域で避難案内が数分遅れるとある。朔はそれを消さない。鍵を使って誤った案内が早く届く危険と、表示を止めて正しい案内が遅く届く危険を、同じ色で塗らず並べた。梢が「あなたはどちらを選ぶ」と尋ねた。朔は「私なら止める」と答えた。その後すぐ「だから、私の答えを命令にしない」と続けた。梢はそれ以上、彼を試さなかった。
相馬から連絡が入った。七年前の一時保護記録を署名した医師で、今は行政記録上の死者だ。「私の反対票は使うな」と彼は言った。「現在の私は、別の名で生きている。今日ここで同じ署名をすれば、あの時守った人まで見つかる」。朔は了解した。相馬の過去の署名は証拠として残す。現在の投票に使わない。生きていることの証明を、投票の入場料にしない。
画面の外から、灯の声がした。「私も賛成には入れない」。未成年の保護番号を、地域代表の票へ替えることはできない。「でも、止められるなら止めたい。私のいる区画の食堂だけは、誰かが直接知らせに来て」。梢は保護区画の当番へ連絡した。名前ではなく場所を伝え、本人の生活経路を会議へ載せなかった。
午前三時、必要な現場連絡が整った地域から順に、中央の確定表示を止めることが決まった。全国鍵は使われなかった。使わないまま箱へ戻すのではなく、例外権限をこの停止の途中で失効させる。もし停止中に誰かが中央判断を強制したくなっても、四十七の拒否を越えられない。朔自身も越えられない。
「本当に、捨てるのか」。久世が初めて聞いた。
「私が持てるから、捨てる」。朔は答えた。持てない人が清廉さを語るのとは違う。使えば娘のいる区画の安全を一分早く確認できるかもしれない。その誘惑を感じている今、鍵を残す言い訳はいくらでも作れる。朔は自分の名を失効提案者として残し、環と現場の代表に確認を渡した。鍵を割る映像は撮らなかった。大きな破壊の演出より、翌朝にも権限が戻らない記録の方が大切だった。
停止が始まると、中央の日本地図が黒くなった。画面越しに国が一瞬で消えたように見える。実際の町では、冷蔵庫も街灯も、人工呼吸器も動いていた。消えたのは「この人をここへ運べ」と確定していた中央の声だ。地域の人が連絡を受け、手元の紙に数を書き、人を呼ぶ。遅くなるところもあった。初めて自分たちで判断したわけではない。いつもしていた判断を、中央が上書きしないだけだった。
七分のうち三分目、南の診療所から「連絡が届かない」と報告が来た。準備ができたと返答した地域だ。朔の喉が乾く。失敗を数分後の成功で消すことはできない。久世が担当者の名を読み上げ、環が隣の地域へ連絡を渡す。現場では看護師が自分の判断で患者をその場へ留めていた。誰も命令を待って立ち止まってはいなかった。あとから分かったことだが、回線の故障ではなく、当番表の一行が旧姓のままだった。小さな名前のずれが、中央の大きな地図では見えなかった。
朔は看護師へ直接礼を言おうとしたが、環が制した。「まず、どうして連絡が届かなかったかを調べる」。感謝を先に渡すと、運用の穴が美談へ変わってしまう。看護師は電話口で、「患者を留めたのは私だけの勇気じゃない。隣の診察室が空いていたから」と言った。夜間に部屋を片づけた清掃員の仕事が、数分の余裕を作っていた。朔はその名前も聞いたが、本人に確認するまで公表しなかった。英雄の代わりに、見えなかった仕事を数える。それが救命簿にできる、最初の訂正だった。
梢は「全員無事」と報告しようとした職員を止めた。まだ四分残っている。まだ戻った患者の確認もない。「未確認」と言い直す。朔はその声を聞き、七年前の自分が何を欲しかったかを思い出した。正しい予測ではない。確認できていない人を、いないことにしない時間だ。
七分が過ぎ、地図に色が戻った。中央表示は候補として再開し、地域の拒否を自動で上書きしない。港の避難所は二十人を受け入れ、学校へ向かった人の到着も確認された。診療所では一人が転倒し、腕を打った。停電ではないから被害ゼロ、と記すことはできない。朔は転倒の時刻と、案内の遅れとの関係がまだ分からないことを同じ欄へ残した。
避難所長は、受け入れた二十人のうち一人が入口で引き返したと付け加えた。人混みが苦手で、学校へ行きたいと言ったのだ。灯台網なら「受け入れ辞退」とだけ残る。避難所長は歩ける道を確かめ、学校の担当へ本人が伝えてよい範囲だけ知らせた。到着の確認は夕方になった。朔はこの人を午前の「避難完了」へ数えなかった。数字が減ることを恐れて早く閉じた記録が、七年前にいくつの人を見えなくしたか、まだ数え終えていない。
強硬派の代表が朔へ通信をつないだ。「お前は国を暗くした。なのに、誰も倒せなかった」。失望と安堵が混じった声だった。朔は相手を論破しない。「中央の画面を暗くした。そこは私の提案だ。街の灯りを消したわけではない」。強硬派が望んだのは、被害を見せつけて制度を変えることだった。朔が選んだのは、被害を増やさず制度の上書きを止めることだ。二つは同じ「停止」ではなかった。
環は全国鍵の失効記録を四十七地域へ送った。各地域から独立して受領の返事が届く。四十六。最後の一つは、七年前に汐見湾が属した沿岸地域だった。画面には受領でなく、「異議あり」が点いた。朔は息を止めた。鍵を残せという異議かと思った。だが内容は逆だった。「失効を認める。ただし、七年前に鍵を使った者の責任を、この失効で免除してはならない」
朔は署名した。「免除しない」。その一行を付けて、最後の受領が揃った。鍵は中央から消えた。彼の過去は消えなかった。
明け方、朔は保護区画の食堂へ一通だけ伝言を頼んだ。灯が受け取らなくてもよい形で、ただ事実を書いた。「鍵はもう使えない。私は七年前の承認について、公開できる範囲の説明を続ける」。父だと名乗る文ではない。灯は昼まで返事をしなかった。朔は待てた。返事がないことを、許しとも拒絶とも数えずに。
芽衣の記事は昼に出た。見出しは「日本を暗くした男」だった。朔は苦笑した。本文には、七分間に何が止まり、何が止まらず、誰が確認を引き受けたかが書かれていた。見出しに怒る権利はある。しかし記事が彼を救国者に仕立てなかったことに、少しだけ安堵した。
記事の最後には、芽衣が港の避難所長から聞いた一言が載った。「中央が黙った七分で、私は初めて責任を負ったんじゃない。前から負っていた責任が、画面から見えるようになった」。朔はその文章を切り抜かなかった。額に入れて飾ると、現場の言葉が自分の決断を正当化する飾りになる気がしたからだ。代わりに、避難所の報告へ届く連絡先を控えた。今後、二十人を受け入れた床の修理が必要になる。七分の選択の費用は、七分後にも残る。
久世は会議室の隅で眠っていた。眠る前に「俺が七年前に撃たなかったことと、今夜お前が鍵を捨てたことを、同じ勇気と呼ぶな」と言った。朔は頷いた。久世は過去の説明を怠った。朔は過去に承認をした。その違いを曖昧にして友情へ変えるのは、二人には早い。それでも朝、久世の机には朔のための温い缶コーヒーが一本置かれていた。言葉を急がない関係だけが、そこにあった。
環は継目室の監査欄へ、自分の名で失効を記した。組織が長年守ってきた例外権限をなくした責任は、提案した朔だけでなく、確認した自分にもある。部下が「これで継目室は必要なくなりますか」と聞いた。環は首を振る。「権限を持たない監査の方が、やることは増える」。現場の拒否が届いたか、数字から消された人がいないか、名前を出せない人も異議を送れるか。一人の鍵に隠れていた仕事が、ようやく机の上へ出た。
午後、灯から返事が来た。短い一文だった。「鍵の話は受け取った。あなたのことは、まだ答えない」。朔は三度読み、端末を伏せた。父としては傷ついた。監査者としては、本人の選択が守られたと分かった。どちらか一方の気持ちを消して平然とすることはできない。梢が隣へ来ても、灯の返事を見せるか迷った。朔は「いまは私宛てだから」とだけ言った。梢は聞き返さず、窓の外を見た。夫婦として失った七年を一晩で埋めずにいることも、二人が今選べる小さな誠実さだった。
その夜、朔の手元へ国の正式報告の草稿が届いた。汐見湾の七年前と今朝の七分間を並べたページ。上段には「大規模停電の再発を防止」とある。下段、今朝の結果欄には「被害者なし」と記されていた。転んだ人はいる。行き先を失いかけた人もいる。七年前には、名前を捨てて生きた人たちがいる。彼らが誰かをまだ特定できなくても、いなかったことにはならない。
朔は訂正を求める準備をした。すると草稿の作成者欄に、見覚えのある署名が浮かんだ。七年前の零号裁定に反対したはずの、梢の署名だった。本人が今朝書いたものではない。作成時刻は、汐見湾がまだ暗くなる前。朔が問いを送るより早く、梢から通信が入った。
「その『被害者なし』は、私が書いた」
七年前、救うために消した名前を、今度は誰の名で戻すのか。朔が口を開く前に、梢は続けた。「あなたが知らない被害者のためじゃない。あなたが、まだ数えていない加害者のために」
裏切り者の救命簿
45 / 69
このシリーズの全話 69編
- 第1話:死者から届いた避難命令
- 第2話:明日死ぬ男の事情聴取
- 第3話:7分間だけ消えた町
- 第4話:救助されたことのない生存者
- 第5話:空白の避難地図
- 第6話:妻の声は本人ではない
- 第7話:記者が売った証言
- 第8話:継目室の裏切り者
- 第9話:容疑者を先に救え
- 第10話:八千二百四十一の空席
- 第11話:妻が生きている映像
- 第12話:空席への突入
- 第13話:指導者のいない組織
- 第14話:被害者が作った仕組み
- 第15話:承認者は真壁朔
- 第16話:署名した記憶がない
- 第17話:1人多い救助班
- 第18話:閉鎖病院の稼働記録
- 第19話:拒否された訂正番号
- 第20話:守られた死亡届
- 第21話:帰国便の到着時刻
- 第22話:7年前の開始条件
- 第23話:死亡前の移管先
- 第24話:第0号の起動者
- 第25話:2つ目の死亡時刻
- 第26話:味方を逮捕する日
- 第27話:公開できない救命
- 第28話:家族に知らせない生存
- 第29話:娘が選んだ名字
- 第30話:継目室を売る値段
- 第31話:死者の町へようこそ
- 第32話:到着時刻の死亡札
- 第33話:空欄の2人
- 第34話:搬送されなかった患者
- 第35話:7分後の裏切り者
- 第36話:3人目の真壁朔
- 第37話:芽衣の告発
- 第38話:久世が撃たなかった理由
- 第39話:強硬派の投票
- 第40話:国を止める鍵
- 第41話:死者の反対票
- 第42話:七通の死亡時刻
- 第43話:生存者の死亡診断書
- 第44話:生きている者の反対票
- 第45話:鍵を捨てる裁定
- 第46話:被害者はいなかった
- 第47話:被害届を出せない生存者
- 第48話:同意を書き足した人
- 第49話:開かれなかった審議
- 第50話:未来の名前を知る封筒
- 第51話:同行者の面談
- 第52話:受け取られた理由書
- 第53話:二人分の同意番号
- 第54話:正義を分けた七分
- 第55話:朔を守った改ざん
- 第56話:北側連絡路の担架
- 第57話:空席の当番
- 第58話:届かなかった停止札
- 第59話:動いた窓口の受取人
- 第60話:自分で押したボタン
- 第61話:五つの救命案
- 第62話:味方だけの会議はしない
- 第63話:届かなかった異議の立会人
- 第64話:梢と環の共同声明
- 第65話:消えた二人目の受取先
- 第66話:本人へ戻せ
- 第67話:保留を配布に変えた机
- 第68話:空白の引継署名
- 第69話:戻るはずだった先
裏切り者の救命簿
45 / 74
このシリーズの全話 74編
- 第1話:死者から届いた避難命令
- 第2話:明日死ぬ男の事情聴取
- 第3話:7分間だけ消えた町
- 第4話:救助されたことのない生存者
- 第5話:空白の避難地図
- 第6話:妻の声は本人ではない
- 第7話:記者が売った証言
- 第8話:継目室の裏切り者
- 第9話:容疑者を先に救え
- 第10話:八千二百四十一の空席
- 第11話:妻が生きている映像
- 第12話:空席への突入
- 第13話:指導者のいない組織
- 第14話:被害者が作った仕組み
- 第15話:承認者は真壁朔
- 第16話:署名した記憶がない
- 第17話:1人多い救助班
- 第18話:閉鎖病院の稼働記録
- 第19話:拒否された訂正番号
- 第20話:守られた死亡届
- 第21話:帰国便の到着時刻
- 第22話:7年前の開始条件
- 第23話:死亡前の移管先
- 第24話:第0号の起動者
- 第25話:2つ目の死亡時刻
- 第26話:味方を逮捕する日
- 第27話:公開できない救命
- 第28話:家族に知らせない生存
- 第29話:娘が選んだ名字
- 第30話:継目室を売る値段
- 第31話:死者の町へようこそ
- 第32話:到着時刻の死亡札
- 第33話:空欄の2人
- 第34話:搬送されなかった患者
- 第35話:7分後の裏切り者
- 第36話:3人目の真壁朔
- 第37話:芽衣の告発
- 第38話:久世が撃たなかった理由
- 第39話:強硬派の投票
- 第40話:国を止める鍵
- 第41話:死者の反対票
- 第42話:七通の死亡時刻
- 第43話:生存者の死亡診断書
- 第44話:生きている者の反対票
- 第45話:鍵を捨てる裁定
- 第46話:被害者はいなかった
- 第47話:被害届を出せない生存者
- 第48話:同意を書き足した人
- 第49話:開かれなかった審議
- 第50話:未来の名前を知る封筒
- 第51話:同行者の面談
- 第52話:受け取られた理由書
- 第53話:二人分の同意番号
- 第54話:正義を分けた七分
- 第55話:朔を守った改ざん
- 第56話:北側連絡路の担架
- 第57話:空席の当番
- 第58話:届かなかった停止札
- 第59話:動いた窓口の受取人
- 第60話:自分で押したボタン
- 第61話:五つの救命案
- 第62話:味方だけの会議はしない
- 第63話:届かなかった異議の立会人
- 第64話:梢と環の共同声明
- 第65話:消えた二人目の受取先
- 第66話:本人へ戻せ
- 第67話:保留を配布に変えた机
- 第68話:空白の引継署名
- 第69話:戻るはずだった先
- 第70話:消えた席の返事
- 第71話:返事を待たない代替席
- 第72話:裏口の返送先
- 第73話:届かなかった通知
- 第74話:丸印の臨時連絡員
裏切り者の救命簿
45 / 74
このシリーズの全話 74編
- 第1話:死者から届いた避難命令
- 第2話:明日死ぬ男の事情聴取
- 第3話:7分間だけ消えた町
- 第4話:救助されたことのない生存者
- 第5話:空白の避難地図
- 第6話:妻の声は本人ではない
- 第7話:記者が売った証言
- 第8話:継目室の裏切り者
- 第9話:容疑者を先に救え
- 第10話:八千二百四十一の空席
- 第11話:妻が生きている映像
- 第12話:空席への突入
- 第13話:指導者のいない組織
- 第14話:被害者が作った仕組み
- 第15話:承認者は真壁朔
- 第16話:署名した記憶がない
- 第17話:1人多い救助班
- 第18話:閉鎖病院の稼働記録
- 第19話:拒否された訂正番号
- 第20話:守られた死亡届
- 第21話:帰国便の到着時刻
- 第22話:7年前の開始条件
- 第23話:死亡前の移管先
- 第24話:第0号の起動者
- 第25話:2つ目の死亡時刻
- 第26話:味方を逮捕する日
- 第27話:公開できない救命
- 第28話:家族に知らせない生存
- 第29話:娘が選んだ名字
- 第30話:継目室を売る値段
- 第31話:死者の町へようこそ
- 第32話:到着時刻の死亡札
- 第33話:空欄の2人
- 第34話:搬送されなかった患者
- 第35話:7分後の裏切り者
- 第36話:3人目の真壁朔
- 第37話:芽衣の告発
- 第38話:久世が撃たなかった理由
- 第39話:強硬派の投票
- 第40話:国を止める鍵
- 第41話:死者の反対票
- 第42話:七通の死亡時刻
- 第43話:生存者の死亡診断書
- 第44話:生きている者の反対票
- 第45話:鍵を捨てる裁定
- 第46話:被害者はいなかった
- 第47話:被害届を出せない生存者
- 第48話:同意を書き足した人
- 第49話:開かれなかった審議
- 第50話:未来の名前を知る封筒
- 第51話:同行者の面談
- 第52話:受け取られた理由書
- 第53話:二人分の同意番号
- 第54話:正義を分けた七分
- 第55話:朔を守った改ざん
- 第56話:北側連絡路の担架
- 第57話:空席の当番
- 第58話:届かなかった停止札
- 第59話:動いた窓口の受取人
- 第60話:自分で押したボタン
- 第61話:五つの救命案
- 第62話:味方だけの会議はしない
- 第63話:届かなかった異議の立会人
- 第64話:梢と環の共同声明
- 第65話:消えた二人目の受取先
- 第66話:本人へ戻せ
- 第67話:保留を配布に変えた机
- 第68話:空白の引継署名
- 第69話:戻るはずだった先
- 第70話:消えた席の返事
- 第71話:返事を待たない代替席
- 第72話:裏口の返送先
- 第73話:届かなかった通知
- 第74話:丸印の臨時連絡員
裏切り者の救命簿
45 / 74
このシリーズの全話 74編
- 第1話:死者から届いた避難命令
- 第2話:明日死ぬ男の事情聴取
- 第3話:7分間だけ消えた町
- 第4話:救助されたことのない生存者
- 第5話:空白の避難地図
- 第6話:妻の声は本人ではない
- 第7話:記者が売った証言
- 第8話:継目室の裏切り者
- 第9話:容疑者を先に救え
- 第10話:八千二百四十一の空席
- 第11話:妻が生きている映像
- 第12話:空席への突入
- 第13話:指導者のいない組織
- 第14話:被害者が作った仕組み
- 第15話:承認者は真壁朔
- 第16話:署名した記憶がない
- 第17話:1人多い救助班
- 第18話:閉鎖病院の稼働記録
- 第19話:拒否された訂正番号
- 第20話:守られた死亡届
- 第21話:帰国便の到着時刻
- 第22話:7年前の開始条件
- 第23話:死亡前の移管先
- 第24話:第0号の起動者
- 第25話:2つ目の死亡時刻
- 第26話:味方を逮捕する日
- 第27話:公開できない救命
- 第28話:家族に知らせない生存
- 第29話:娘が選んだ名字
- 第30話:継目室を売る値段
- 第31話:死者の町へようこそ
- 第32話:到着時刻の死亡札
- 第33話:空欄の2人
- 第34話:搬送されなかった患者
- 第35話:7分後の裏切り者
- 第36話:3人目の真壁朔
- 第37話:芽衣の告発
- 第38話:久世が撃たなかった理由
- 第39話:強硬派の投票
- 第40話:国を止める鍵
- 第41話:死者の反対票
- 第42話:七通の死亡時刻
- 第43話:生存者の死亡診断書
- 第44話:生きている者の反対票
- 第45話:鍵を捨てる裁定
- 第46話:被害者はいなかった
- 第47話:被害届を出せない生存者
- 第48話:同意を書き足した人
- 第49話:開かれなかった審議
- 第50話:未来の名前を知る封筒
- 第51話:同行者の面談
- 第52話:受け取られた理由書
- 第53話:二人分の同意番号
- 第54話:正義を分けた七分
- 第55話:朔を守った改ざん
- 第56話:北側連絡路の担架
- 第57話:空席の当番
- 第58話:届かなかった停止札
- 第59話:動いた窓口の受取人
- 第60話:自分で押したボタン
- 第61話:五つの救命案
- 第62話:味方だけの会議はしない
- 第63話:届かなかった異議の立会人
- 第64話:梢と環の共同声明
- 第65話:消えた二人目の受取先
- 第66話:本人へ戻せ
- 第67話:保留を配布に変えた机
- 第68話:空白の引継署名
- 第69話:戻るはずだった先
- 第70話:消えた席の返事
- 第71話:返事を待たない代替席
- 第72話:裏口の返送先
- 第73話:届かなかった通知
- 第74話:丸印の臨時連絡員

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