「代理受領」の四文字を見たとき、砂原が最初にしたのは、受領者の欄を紙で隠すことだった。差戻された回答書の再差出番号は、翌週の配送帳に確かに載っている。だが、代理で受け取った人の名前が分かったとしても、その人が本人から何を任されたかは分からない。岸も机を離れ、独立審査の立会人が到着するまで、封筒の表を見なかった。七年前の一通を追うために、今の本人の行き先を家族へ漏らすわけにはいかない。
配送帳は二冊あった。一冊は窓口の控え、もう一冊は臨時担当者が手渡しを記した薄い帳面だ。番号と日付は一致するが、窓口控えの「代理受領」は太い黒字、薄い帳面では鉛筆の小さな「代」だけだった。砂原は、後から整理する際に同じ意味へ書き直された可能性を記録した。手渡し先が代理人だという結論は、二冊あることだけでは強くならない。もとの細い字が何を指したか、受け渡した物が何だったかを先に確かめる必要がある。
保管庫の秤の記録には、差戻された封筒より少し重い荷物が同じ番号で載っていた。紙を入れたのか、宛名確認票を二枚重ねたのか。砂原は封筒を開けず、外側の折り目を光に透かした。封緘の糊は一度だけ塗られている。差戻し封筒をそのまま再送したのではなく、新しい封筒に移したらしい。封入した記録が見つかるまでは、何が入ったかは未確定だ。岸は「回答書が代理人へ渡った」とメモした自分の鉛筆を消し、「同番号の荷物が渡った可能性」に直した。
奏のいる共同窓口には、いつもどおり相談者が来た。亡くなった父の音声を受け取るかどうか、成人した兄弟で意見が割れているという。奏は二人を同じ椅子へ座らせず、それぞれが受け取れる範囲を紙に書いてもらった。弟は内容を聞きたい。姉は保管期限だけ知りたい。二人とも相手の代理ではない。奏は一通の記録に二つの返答を残し、弟へ姉の理由を説明する役も引き受けなかった。夕方、砂原の照会票にある「代理」の字を思い出し、自分が今朝、同じ間違いを避けられたことに安堵するより、七年前の担当にも同じ椅子の数が見えていたかを考えた。
独立審査は当時の臨時窓口の案内を見つけた。「代」の字には二つの使い方があった。本人に代わって物を受け取る人と、通常の配達員に代わって受け渡しを確認する職員。薄い帳面では、どちらも一文字で済ませていた。別ページの記入例には、後者の場合だけ受領者欄に小さな丸を打つとある。問題の行には丸があるようにも見えたが、背面の印が透けた跡かもしれない。砂原は複写を二種類の照明で撮り、印影の位置を測った。丸は裏からの透けではなく、表側の鉛筆だった。
それでも代理受領者が職員だと決めるには早い。二つ目の規則には、その職員が荷物を受け取ったあと、本人への配達を別の欄で引き継ぐと書かれている。問題の行にはその引継番号がない。独立審査の若い担当は「ここで止まったのでは」と言った。砂原はうなずく代わりに、欄の幅を測った。細い帳面の製本で右端が切られ、番号の末尾だけ失われている可能性がある。停止か継続かを、欠けた紙の外側から調べることになった。
千佳から奏へ、庭木の剪定が終わった写真が届いた。父は脚立を使わず、下から枝を指しただけだという。白いカードを預かった母の部屋が背景に映り、奏は拡大しかけて指を止めた。母の遺した物を覗けば、調査の答えが早く出るような気がする。けれど今、確かめているのは母が何を望んだかではなく、別の本人へ窓口の返事が届いたかどうかだ。奏は剪定の写真にだけ返事をした。「脚立をしまえてよかった。日曜に行く」。家族でいる時間を証拠集めに変えないことも、彼女が選べる仕事だった。
薄い帳面と同じ日付の配達員勤務表に、臨時窓口へ立ち寄った職員の番号が一つ残っていた。職員は七年前に退職し、現在は別の町で暮らしている。砂原は本人へ直接電話しなかった。昔の職務の問い合わせを、本人の生活へ突然持ち込むのは避けたい。組織の連絡窓口を通して、記録上の行動だけを尋ねる文書を送った。回答に名前を公開しない条件も添える。職員の返事が来るまで、配送帳の筆跡で犯人探しを始める人はいなかった。
翌朝、別保管の配送袋一覧から、欠けた引継番号の前半と一致する行が見つかった。袋は本人の居所へ向かう通常便ではなく、居所を知る独立の相談室へ渡っていた。相談室は本人が成人した際、一度だけ安全な連絡方法を確認する役目を持つ。宛先を直接書かずに届けるための経路だったのだ。窓口の「宛名再確認」は、住所を取り違えた証拠でも、誰かが本人の居所を隠した証拠でもない。直接送ることを避ける手続きに切り替えた可能性が高まった。
砂原は相談室の古い記録を請求した。そこには荷物の外箱番号だけがあり、中の回答書の版番号はない。受領した職員は荷物を封印棚へ置き、本人へ案内を出す前に、連絡方法の確認票を照合していた。七年前の確認票には「電話停止」の印と「予約日説明停止」の印がある。手紙の存在通知を止める印はない。ところが相談室の後年の索引では、三つをまとめた「受取意思なし」へ変換されていた。古い窓口だけでなく、次の部屋にも誤った短縮が渡っていた。
岸はこの発見を奏に伝える言葉を選んだ。「本人宛ての古い回答が、独立相談室の棚までは移された可能性があります。ただ、本人が受け取った記録はまだありません」。奏は長い間返事をしなかった。母の手紙が読まれなかった理由を、一つの機械の間違いにできたら楽だった。母を責めなくて済むし、本人の沈黙も別の意味に見える。けれど回答書と手紙は別の物だ。棚にあったのが誤った文章なら、本人へ届かない方がよかったとさえ言い切れない。奏は「どちらの版か、分かったら教えて」とだけ言った。
澪は自分の手紙がまだ箱の中にあることを知っている。岸から相談室の調査が始まったと聞いても、彼女は「見つかった昔の紙で、いまの返事を急がせないで」と念を押した。澪が当時書いた言葉は、今もそのまま渡してよいとは限らない。彼女自身も、読み手が手紙の存在だけを知った段階で、本文を送るかどうか改めて選ぶつもりだった。待つことは、差出人に決定権がないという意味ではない。二人の選択を同じ封筒へ押し込まないための間だった。
臨時窓口の元職員から返答が届いた。自分は代理人として荷物を受け取ったのではない。通常便に載せる前、相談室へ封印状態のまま引き渡す役だったという。職員は受領欄の丸を覚えていたが、中身は見ていない。砂原は証言を勤務表と照合し、移送の役割については支持できると判断した。ただし「本人に届いたと思う」という最後の一文は、記憶に基づく推測として別欄へ移した。誠実な証言でも、見ていない到達まで保証はできない。
相談室の封印棚には、同じ番号の外箱がまだ残っていた。保管延長の札が何度も付け替えられ、最も新しい札には今月の日付がある。砂原は封印を破らず、札の理由を見た。「本人からの照会可能性あり」。誰かが現在もこの箱を守っていた。だが、相談室が独立審査へ渡した一覧では、箱の状態は「処理済」。なぜ保管を続ける物を処理済にしたのか。担当者へ尋ねると、処理済は配達の完了ではなく、保管責任を受け取ったという内部の印だと分かった。七年前の「回答済」と似た言葉が、別の棚でも生きていた。
独立審査は今の本人へ二つの案内を混ぜずに出した。ひとつは、過去の回答書が本人へ届いたか確かめているという報告。もうひとつは、現在、第十五箱の手紙の存在だけを知らせる一度限りの通知だ。どちらにも返事の期限を付けない。ただし保存の期限は明示し、延長の方法も書いた。本人が何も答えなければ、勝手に本文を送らない。調査は続けられるが、本人のためだという名で本人の家へ突然人を訪ねることもしない。
砂原は封印棚の外箱の縁に、赤鉛筆の小さな斜線を見つけた。二度目の回答書の定型文で「受取を希望しない」に線を引いたという安西の記憶がよぎる。しかし安西の話は別案件との混同があり、この印が同じ線かは分からない。紙の繊維を傷めずに調べると、斜線は箱の中身ではなく、封印札の訂正を示す位置にあった。似た手掛かりをすぐ結びつけずに外せたことで、砂原は次の小さな印を見逃さなかった。外箱の底に、窓口の二度目の印刷指示より一日早い受領時刻がある。
「まだ印刷されていない紙を、どう受け取ったの」。若い担当が尋ねた。砂原は一度目の版を思い出した。相談室へ送られたのは、訂正後の「受取を希望しない」ではなく、一度目の「連絡方法を記録しました」かもしれない。逆に外箱だけ先に渡し、本文は後から入れる予定だったかもしれない。封印の継ぎ目を確かめると、開け直した痕はない。箱ごと先に渡し、紙を後から足すことはできない。ならば初版が入っているか、空の確認票が入っているかの二択になる。
奏は母の手帳ではなく、共同窓口の新しい説明票を開いた。そこには「受領」の下に、誰が、何を、どこまで受け取ったか書く欄が三つある。朝の姉弟の相談で、姉は保管期限だけ、弟は音声の内容を希望した。奏は二人の希望を別々に残せた。七年前の職員を裁く前に、いま使う紙の空欄を増やしておく。その小さな作業は、過去を正す代わりにはならない。それでも次の誰かが一文字の「代」に閉じ込められずに済む。
夕暮れ、独立審査へ本人から短い返事が来た。現在の手紙についてではない。「昔の回答書の中身を調べてください。ただし、読んだ内容を私へ送るかは、先に聞いてほしい」。本人は調査を許し、受取をまだ選んでいない。砂原は同意の範囲を復唱し、奏にも澪にも本文を知らせないと記録した。七年前の箱の封印を解くのは、本人の代わりに返事を決めるためではない。本人が、何に返事をするかを自分で知るためだ。
封印の立会いは翌朝に決まった。砂原は外箱の下から、もう一枚の受領札を抜き出した。表には臨時職員の番号、裏には相談室の受領番号。だが裏の末尾に、鉛筆で「本人へは未案内」と書き足されている。筆跡も時刻も未確認だ。七年前、相談室の誰かが未案内を知りながら棚に置いた可能性がある。砂原は札を透明な袋へ収めた。代理で受け取った人は見つかった。しかし本当に問うべき相手は、箱を受け取った職員ではない。本人へ知らせるはずだった次の席で、誰が止まったのか。
最後の手紙を、君が読む日
34 / 34
このシリーズの全話 34編
- 第1話:声のない留守番電話
- 第2話:空の弁当箱
- 第3話:名前のない誕生日
- 第4話:青インクの消印
- 第5話:まだ早い手紙
- 第6話:好きな場所へ行きなさい
- 第7話:空席の指定席
- 第8話:母の声を知らない日
- 第9話:読まないでいた理由
- 第10話:頼みごとの封筒
- 第11話:同じ日付の依頼人
- 第12話:返事を持つ姉
- 第2部序章:3年後への配達
- 第2部第1話:先に届いた消印
- 第2部第2話:閉まる予定の事務所
- 第2部第3話:開く前の予約
- 第2部第4話:母が受け取った手紙
- 第2部第5話:第13箱の受取人
- 第2部第6話:十四番の空欄
- 第2部第7話:14年前の返送人
- 第2部第8話:亡き人への返事
- 第2部第9話:消えた第15箱
- 第2部第10話:頼みごとの封筒
- 第2部第11話:3年前の取消票
- 第2部第12話:4枚目の取消票
- 第2部第13話:生者からの受取停止
- 第2部第14話:母ではない差出人
- 第2部第15話:父が止めた配達
- 第2部第16話:二つの宛先
- 第2部第17話:返送した本人
- 第2部第18話:手渡し先の署名
- 第2部第19話:成人した日の窓口
- 第2部第20話:抜けた回答書
- 第2部第21話:代理で受け取った人
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- 第2部第13話:生者からの受取停止
- 第2部第14話:母ではない差出人
- 第2部第15話:父が止めた配達
- 第2部第16話:二つの宛先
- 第2部第17話:返送した本人
- 第2部第18話:手渡し先の署名
- 第2部第19話:成人した日の窓口
- 第2部第20話:抜けた回答書
- 第2部第21話:代理で受け取った人
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